「林石油店と5人のお客さま」第2回 ドライブスルー
「暑いねえ」車の窓を開けるなり、男が言った。続けて、「社長は?」
この県道沿いのガソリンスタンドでは、開口一番、社長のことを聞くお客がことのほか多い。最初は面食らったが、新人の店員ひろしもさすがに今では慣れっこになっている。
「今日、社長は日曜日の代休でお休みです」
「あ、そう」
店の目の前に、このあたりでは「小富士」と言われている行司ケ岳の美しい稜線が見える。そのふもとの雑木林から聞こえるせみの声がうるさい。
「いいなあ、あいつは休みがとれて。俺なんか、今日も配達、明日も配達・・・」
男はこのGSの常連で、街中で新聞配達店を営んでいる。赤い新聞社のマークがついた帽子がトレードマークだ。
「そ、そうなんですか」ひろしが言いよどんでいると、
「新聞の休みは月一でしたよね」隣の給油レーンでフロントガラスを吹いていたベテラン店員の山下が、助け舟を出してくれた。
「うちのスタンドも休みは月一。おあいこですよ」
「まあ、そういうことやな」
新聞屋の男は、素直に山下の言葉を認めた。元々、この新聞屋の店主も悪気があって言っているのではないのである。
「で、なおきは今日どこに?」なおきとは、社長のファースト・ネームである。常連客はみんなこの名前を使っている。
「さあ、どうですかねえ。今日は聞いてませんね」と山下が言う。「先月の休みの日は、自宅の庭の山椒の木の実を収穫してたって言ってました」
「あ、あれね。あのあと、なおきがちりめん山椒作って、うちにもおすそわけがあったよ。あのピリッとしてしびれるみたいな感じは最高やね」
「確かにあのちりめん山椒は、絶品ですね」
「あいつ、商売間違ったんじゃない。あいつの作る料理は、大抵うまいね。ガソリンスタンドの社長にしておくにはもったいないな」と新聞屋が言うと、
「ははは、そうですね。社長じゃなかったら何がいいですか?」調子を合わせて山下が会話をつなげる。
「そうやなあ、日本料理店の料理長。いやテレビの料理評論家かな? 土井善晴さんみたいな」
「そういえば、社長、このあいだ面白いことSNSに書いてました。『いつも思うんです。ガソリンに味があったらなあ』って。」
「へえ、ガソリンに味ねえ」
「もし、そうだったらですね、『お客さーん、今日のガソリンは美味しいですよ。朝取れ、新鮮です』とか言って売ることができるからだそうです」
「それはいいや。あいつらしいなあ。そのときあいつはガソリンのソムリエかなんかになってたりしてな」
「そうそう。このメーカーのハイオクは少し辛いですとか、ほのかに果実臭が混じるとか、うんちくをたれてますね。きっと」
「うちの店にだって、A新聞とかN経済新聞とかいう大新聞もあるし、地元の地方紙もある。それぞれ読者にお勧めしてるけど、さすがにガソリンはそうはいかないかあ」
スタンドのメーターが大きな音を立てて止まり、ノズルを給油口から抜いたひろしが、新聞屋の店主に告げた。
「38.5リットル入りました」
「お、ありがとさん。ところで、にいちゃん。このガソリンってどこ産?」
「え、ガソリンの産地ですか?」ひろしが面食らっていると、またもや山下が代わりに答えてくれた。
「うちの店に入る油は、サウジアラビアから来てます。室蘭から富山、福井新港と船で運ばれてきて、タンクローリーでこちらまで、というルートで入ります」
「へえ、そうなんや」
さすがにそこまでは知らなかったひろしが一緒に関心していると、
「いくら?」とお客が聞いてきた。
「あ、 6506円いただきます」
ガソリン代金を払いながら、新聞屋の店主がさらに意外なことを言った。
「じゃあ、カフェラテひとつ、テイクアウトで」
「え、カフェラテ?・・・」
そういうと男はだまって店先の方を指さした。そこには、
「ちびてい アイスカフェラテ ¥100 あります」
と書かれた大きな手書きの看板が立っていた。
この看板は、社長が週換わりくらいに自ら作って、店先に出している。たたみ一畳くらいの大きさで、今ではこのGSの目印にさえなっている。
このアイスカフェラテの看板は、梅雨が明けて暑くなるのを見越して、先週末、店長が作ったものだった。
「桜満開 入学おめでとう」とか「地域商品券 当店で使えます」とかいった真面目なものもあるが、この春の「新台入替 出ます出します 来店熱望」には、店長の遊び心に慣れている店員たちもさすがにあきれた。
実際、「33.3リットルとか55.5リットルでメーターが止まったら、大放出してくれるんやろうな」というお客さんが続出した。無論、大抵は常連客の戯言なのだが。
カフェラテの注文には、山下もにやにやして笑っているだけ。困ったひろしが黙って立っていると、店の奥から声が飛んできた。
「新聞屋さーん。こっちおいでよー。骨董屋さんの買い付け出張の話、おもしろくておもしろくて」
ベテラン女性店員の三崎さんの声だった。
「おー、今行くわ」
呼ばれた新聞屋の男は、「じゃ、あっちで」と飲み物を飲む仕草をして、店内のカフェ・スペースに消えていった。そこにはすでに数人の地元の常連客がいて、いつもどおりよもやま話に花を咲かせているようだ。
ひろしがほっとしていると、いつのまにか隣に立っていた山下が笑いながら言った。
「うちはいつからドライブスルーのカフェになったんだ。困ったもんだ」
「そうですね」とひろし。
「でもさあ、よく考えてみろよ。フルサービスのガソリンスタンドって、ずっとずっと昔からドライブスルーだったんだよなあ」
「ああ、そう言えば・・・。今、どこでもドライブスルーばやりですけど、うちは元々、最先端の業態だったんですね」
二人の店員が笑顔で目を上げると、雲一つない夏空が広がっている。今年の夏もいよいよ本番である。
(続く)